あるHSS型HSP女性の人生

自分の気質を知らず子供の頃から生きづらかった日々を綴ります。

怒ったら怖かったのは父だった


真面目な母は、
時々周囲から、子供に厳し過ぎでは?
と言われることもあった。

一方、父は明るくて冗談も好きなので、
周囲からも楽しい人だと
親しまれていた。
私もそんな父が好きで懐いていた。

だが、心の奥底で
怒らせてしまったら母よりも怖い、
と感じていたのは、
こんなことがあったからだった。

その頃は、幼稚園生か、
小学校入りたてだったかもしれない。

バレーボールのボール遊びをしていた時だった。
HSPで過敏な感覚を持つ私は、
硬いボールを手首で受け止めたりするのが
痛くて苦手だった。
その痛い感覚が嫌で、
積極的にボールを受け止めようとしないでいると、
父が突然怒って、
「もう出来ないんだったら、いい!
 勝手にしなさい!」
と私を放って行ってしまった。

置いていかれる、と思った私は
あわてて父についていって、
家に帰った。
しかし、怒らせた父とは気まずく、
話も出来ないまま、
父と一緒にお風呂に入ることになった。

まだ父に身体を洗ってもらっていたのだが
(今考えると、もう自分で洗える年頃だったのではないかと思うが)
黙って立ったまま身体を預けている私に、
父は静かな口調で少し笑みを浮かべながら言った。
「はづきはバレーボールもちゃんとできないんだね。
 そんなはづきは、お父さん嫌いだ」

私は声をあげて泣いた。
出来ない私は、父に嫌われてしまうんだ。

父に好かれるには、
色んなことを出来ないと言ってはいけないんだ、
という思いが深く残った。

お風呂場で父にこう言われた、など
私には決して母に言えなかった。
言っても、母に
「お母さんだって、お父さんと同じよ」
と言われるのではないかと思った。

のちに、父の妹である叔母が、
「お兄さん(私の父)は、
 家族に対する要求が高い人だったから」
と言っていたことがあった。

母は、人前での振る舞い、行儀に厳しい人だったが
父は、子供なんだからそこまで厳しくする必要ない、
と言う人だった。

だが、自分の考えが「普通」と
実に無邪気に単純に思う人で、
自分はこう思うんだから、こうして欲しい、
自分はそういうのは嫌だから、やめて欲しい、
というのが「押し付け」なんて
微塵も思わない人だった。

何事も深く感じてしまう気質の私は、
大人になるにつれ、
厳しいと評された母よりも、
こういったタイプの父の方が苦手になっていった。

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