あるHSS型HSP女性の人生

自分の気質を知らず子供の頃から生きづらかった日々を綴ります。

鉄棒と忘れられない心の傷②

↓こちらのお話は前回記事の続きになります
hazuki-hsshsp.hatenablog.com

公園に何回か母と通い、
どれだけ鉄棒を握りしめようとも
一回ともまわろうとしない私に
母の怒りは爆発した。

「あんたはウチの子じゃない」
この言葉は言うことをきちんと出来ない時に
言われていた。

だが、この時はそれだけでは済まなかった。

「あんたみたいな子は、孤児院に引き取ってもらうから!」

孤児院は今は「児童養護施設」と言われて
いらない子供”を捨てるところではない。
だけど幼稚園児だった私は、
単純に「捨てられる」んだとショックを受けた。

わぁわぁ泣く私を尻目に、
母は公衆電話をかけ始める。
私は直ちに「孤児院」に
電話するつもりなのだと思って
更に大きな泣き声をあげた。
「孤児院にやらないで!」
と口に出してお願いするのは怖かった。

「うるさい!電話の声が聞こえないでしょ!」
母に怒鳴られ、
私は、あぁ、これで私は孤児院行きが決まった、
と思った。

だが、受話器を持った母はやがて
「あ、お父さん?〜〜〜」
と話し始め、
どうやら孤児院に連絡しているのではなく、
仕事先の父に電話しているのだとわかって、
どうやらすぐには追い出されないらしいと
少しだけ安心した。

結局、こんな怖い思いをしても
私は一回も鉄棒をやらないままだった。

真面目な母は、
幼稚園の先生から
「家でもちゃんと指導するように」
と言われて、
自分が母としてちゃんとしていないと
指摘されたような気がしたのではないか、
と思う。
どんなに言っても、
絶対に鉄棒をやろうとしない娘を前に
心底困らせたと思う。

先生に言われたのに、
鉄棒が出来ないまま
娘を幼稚園に通わせたら、
母親が娘にちゃんとしつけしていない
と言われると焦り、
あんな強い言葉に繋がったのではないか、
と今の私は思っている。

ただ、この時の一件は、
私の中で
(ちゃんと出来ないと捨てられるのかもしれない)
という恐怖として
心の中に深く根づいたとも思う。
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鉄棒と忘れられない心の傷①


↓こちらのお話は前回記事の続きになります
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幼稚園の保護者面談で、
私が園庭にひとり放り出されても
一向に鉄棒をやろうとしないことが
母に伝えられた。

母は先生から
「家でもしっかり指導して下さい!」
と厳しく言われたらしい。

かくして私は幼稚園だけでなく
鉄棒のある公園で母からも厳しく指導されることとなった。

しかし、それでも私は、
両手でしっかり鉄棒を握りしめなからも
絶対に前まわりひとつやろうとしなかった。

やはり、母からも
「支えてるから回りなさい」
と言われても、落ちる恐怖が拭えなかった。

この鉄棒の件は、
私の子育てで母が苦労したことの
ひとつで、私が大きくなってからも
家で度々話題になった。

大人になってから私が
「支えてると言われても、
途中で手を離されるんじゃないかと思っていた」
と母に伝えると
「大事な子供を離すわけないじゃない」
と母が言った。

それもそうか、と大きくなった私は思ったが、
当時の私はどうしてもそう思えなかった。

今振り返ると、私は大人の「大丈夫だから」が
とことん信用出来ない子供だったと思う。
大丈夫と言われて、実際に痛い思いをしても、
そんなの仕方ないじゃない、と
言われるような感じがしていた。
そんなに猜疑心を持つキッカケが何かあったのか?
そこについては記憶がなく、わからない。

ただ、大きくなってこの“鉄棒事件”が
どれだけ私の出来なかったエピソードとして
話題にのぼろうと、
この時に最も私が深く傷ついたエピソードは
語られることはなかった。

どんなに大きくなっても、私からは
「お母さん、あの時あんなこと言ったでしょ」
と決して軽々しく口に出せないような
重い重い言葉だった。

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頑なにやらなかった鉄棒


前回の注射といい、
幼稚園の頃はやりたくないことが
たくさんあった。

その中のひとつが、鉄棒。

私には、あんな細い棒に身体を預けたまま、
くるくる回ったりするなんて信じられなかった。

もし落っこちたらどうするのだろう?
と思った。

先生が身体を支えているから、と言っても
頑としてやろうとしなかった。

いざとなると、先生が手を離すのではないか?
とも思っていた。
そうしたら先生は痛くないだろうけど、
私は怪我をして痛い思いをするじゃないか、と
思った。

幼稚園児がそこまで考えるとは
信じられないかもしれないが、
あの時誰にも言えなかった
私の正直な気持ちだった。

鉄棒が出来なかった私は、
園内に戻る時間になっても
「出来るまでそこにいなさい」
と言われて、
たったひとり鉄棒の前に立たされた。

私の子供時代では、
鉄棒が出来ない園児を
ひとり園庭に取り残すことは
問題になることではなかった。

ずっと鉄棒の前で立ち尽くしている私を、
室内の園児たちが先生に何か言われて、
みんな一斉に立ち上がり
好奇心いっぱいに眺めていたのを
よく覚えている。

私は何かにつけて
「鉄棒も出来ないくせに!」
と言われることになった。

当時、好きだった男の子の存在が周囲にバレて
(大人になっても好意がわかりやすく周囲に漏れた)
みんなで園庭に出る為に靴を履く時に、
その男の子が隣にやって来て、
わざわざ
「俺、鉄棒も出来ない女の子は嫌いだから」
と言われて、初失恋も体験した。

そんな鉄棒にまつわる忌まわしい思い出は、
幼稚園だけでなく、家庭でも味わうこととなった。


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想像の痛みで泣く女の子

 

幼稚園児の頃は、

予防注射を打たれる前から泣きわめく子供だった。

 

なぜ打たれる前から泣いてしまっていたのか?

 

当時は、子供たちが2列くらいになって

予防注射をする為に並んで待っていた。

 

私が後ろの方に並んでいると、

前に並んで自分より先に注射された子が

終わった後、わずかに顔を歪めながら

戻ってくる子が何人かいた。

 

そこで、あ、痛いんだな、と私は感じ取った。

 

そうすると、あの小さな注射針を腕にぶっ刺すなど

ものすごく恐ろしいことに思えてならない。

 

自分の番がきたら、泣き喚いて抵抗した。

 

お医者さん、看護師さんがどんなに口を揃えて

「大丈夫だよ、痛くないよ」

と言っても、それは嘘だ、と思った。

 

注射を打つ為に、気休めで言っているのだとしか

思えなかった。

 

でも、子供がどんなに抵抗しようが

「じゃあ、注射するのはやめましょう」

というわけにはいかない。

 

そこで「動いたら余計痛くなるから!」と叱られながら

観念して打たれることになるのだが、

正直、想像する痛みの方がいつも凄過ぎて、

想像よりも「痛い」と感じたことは一度もなかった。

 

泣きじゃくりながら、

「あれ、思ったより痛くないかも…?」

と思ったことも実はよくあった。

 

同い年の子には、泣き虫、弱虫と笑われた。

大人にも、まだ打たれてもないのに大泣きして、

と呆れられた。

 

だけど、私がなぜ注射される前から大泣きしていたのか?

 

それは、

 

自分の前に注射される子の表情から

痛みを感じ取っていたから

 

と知る者は誰もいなかった。

 

どうして注射される前から泣いてしまうの?

 

と誰にも聞かれなかったから

 

その事実を誰かに伝える機会がなかったのだ。

 

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はじめに

はじめまして。

はづき と申します。

 

5人に1人と言われる、

非常に感受性が強く敏感な気質であるHSP気質の持ち主で

その中の更に30%の割合と言われる

HSS型HSP

(=刺激を求めながらも、

繊細で刺激を受けやすいという両方の面を併せ持つ

気質です。

 

これまでずっと

 

「気にし過ぎ」「考え過ぎ」

 

山ほど言われてきました。

 

自分の考え方がいけないから、

弱いからいけないんだとずっと思ってきました。

 

だけど、HSP気質のことを知って、

繊細だけではないHSS型の特徴を知って、

まさしく私のことだ!と思いました。

 

今までなにが辛くて苦しかったのか。

ようやくわかるようになりました。

 

ここでは、そんな自分の体験を綴っています。

 

ここに書くことは、

自分のことを理解してくれる夫以外には

誰にも話したことのないことばかりです。

(夫にもここまで克明には伝えていないと思います)

 

もし、かつての私のように生きづらさを抱える人が、

自分だけじゃないんだ、と少しでも思ってもらえたら

幸いです。

 

 

 

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